こんにちわ。やってきました、更新日。
前回エリザベートについて書いているとき、親ってホント大事だなぁ、ルドルフ可哀そうに…って思ったので、今日はうちの両親について書こうと思います。
うちの両親はありがたいことに今も健在でして、故郷の西宮でのんびりと暮らしております。あらかじめ、言い訳というか釈明をしておきますが、私は両親が好きですし、感謝していますし、これからも幸せに生きてほしいと思っています。
さぁ、釈明も書いたし、いっちょ書いたりますか!!
両親について。
最初にこんなことを言うのはなんですが
うちの父は中々に社会にとけこめない人です。
簡単にいうと、嫌なやつ、やばいやつ というジャンル。
簡単なエピソードとして、父と母の出会いからいくつかピックアップ。
両親は、お見合い結婚なのですが
●初めて母に会ったときに、「わたしはお酒が好きで、今までにベンツ2台は買えるくらい飲んできたんだよ」とドヤ顔で伝えてきた(当時35歳)
●母方の父(私の祖父)が、「娘は料理もろくに出来ないんですが」と謙遜して紹介した時に、「それは困りますね、練習してもらわなきゃ」と返した。
●出会って数回目のデートで、行先をあらかじめ言わずに高尾山登山に連れていかれた(母はおしゃれな恰好をしていた)。
といった、ファンキーでモンキーでベイビーなエピソードの数々。
そんなファンキーガイと何故母は結婚したのか?
母は、それまで度重なるお見合いを断りまくっていたそうで、祖父から、「お前、マジで調子のんなよ。次断ったらマジで家から追い出すからな」とブチ切れられたらしく、ちょうどその直後に父とお見合いしたそうです。
母がその時、お見合い相手に出した条件は次の3つ
非低身長
体重超過無
毛髪量保持
↑コンプライアンスを考えて、オブラートに包んで記載してみたら漢文みたいになったわ。
うちの父親は、幸運なことに上記にあてはまり、無事2人は結婚することとなりました。
なお、結婚式で父はわざわざ時間を設けて客人の前でステージでカラオケを独唱。
母への愛のメッセージ?
歌った曲は布施明
「君はバラより美しい」とか「シクラメンのかほり」ではなく
「マイ・ウェイ」
信じた~この道を~ 私は行くだけ~♪
全ては~ 心の決めたままに~♪
…
…
鬼メンタル。鬼メンタルラジオ。
母は朗々と歌う父の姿をみて「こいつ大丈夫かな…」と思ったそうな。
まぁ大丈夫ではないんですけどね。
そんな父。基本的には自分が大好き。権力が好き。人を見下すのが好き。飲むのが好き。夜は遅くに帰ってくるけど、そのあと必ずご飯を食べる。家事はしない。朝は起きてこない。休日も仕事。人とよくケンカする。タクシーを呼びつけて、20分くらい待たせて、運転手さんが文句を言ったらキレる。
旅行も数えるほどいったことないし、どこかに連れて行ってもらったり遊んでもらった記憶もほとんどない。
ディズニーランドも、お盆しか休みが取れないからとお盆に行くことになったにも関わらず、仕事が入ったとドタキャン。結局母と姉と3人でお盆の激コミ炎天下ディズニーランドをシャレこんで、そのあと10年近くディズニーランドが嫌いになったこともあったり。
父のヤバいエピソードは他にもあるが、ただただヤバいだけなので割愛します。
そして、恐ろしいのは、ほとんどのヤバエピソードにおいて、父には悪気がないということ。彼は正しいと思ってヤバイことをやっていることが多い。
信じた~この道を~ 私は行くだけ~♪
全ては~ 心の決めたままに~♪
そんな父を持つため、私は中学生のころから、自分自身が周りからやばいやつと思われていないかを気にするようになった。
今思い返してみれば、小学校~中学時代くらいまで、自分自身がヤベェやつだなって思うエピソードは結構あげられる。恥ずかしすぎてとてもじゃないが誰にもいいたくない。墓場まで持っていきたいエピソードもいくつかある。
私は、自分の中に流れる父の遺伝子におびえていた。正確に言うと今も怯えている。自分の奥底に住むモンスターに恐怖しているのだ。
そう、ほぼヨハン・リーベルトである。
いや
自分の中の父親が暴走しないかの恐怖…
仙水戦の浦飯幽助の方が適切か。まぁどっちでもいいや。
とにかく、私自身も、自分を基本的には自己中の変人と思っているので、これからも日々気を付けていこうと思っている。
さて、そんな父も年をとり、社会で痛い目にもあい、今は大分まるくなっている。まぁそうは言いつつも、元々がやべぇ奴なので、今も十分にやばい。
そう、大魔王バーン的な感じである。老いて尚、大魔王だ。
今の父
昔の父
今日はやたら漫画に例えたくなる日だ。次回は大好きな漫画を紹介するブログを書こう。あぁ、それがいい。
そんな大魔王バーンと40年近く連れ添った母。
母はとても忍耐強い人である。私が母ならば、父をとうの昔に見捨てているだろう。それでも母は、我々のために離婚はせず、父もそれなりに幸せにここまで生きてきた。家事育児もほぼ1人で行ってきた。理知的であり、負けん気も強いが空気も読める。世間一般的な良妻賢母の条件は十分にみたしており、姉も私も比較的まっとうに育ったのは、完全に母のおかげであると思う。
マザコン乙。
いやまぁ、でも客観的にみても母は出来た人であった。
母は今でもこう言う。
「あの人を野に放ったら、あんたたち(姉と私)に迷惑がかかるでしょ。だから別れられないし、先にも死ねないのよ笑」
ほぼ人身御供である。
さしずめGS美神のおキヌちゃん。
呪縛から解放されたら邪神が封印から目醒めてしまうのだ。
…
…
どんどん漫画の例えがマニアックになっている。
やはり次回は漫画について書こう。あー、そうしたらいい。
そんな、西宮で邪神を封印し続けてくれている忍耐強い母なのだが、実は昔からキレると超怖い。私は母をキレさせるのが怖すぎて、品行方正でいたと言っても過言ではない。
母には謎の地雷のようなポイントがある。
私はその地雷を避けながら要領よく育ってきた。
そのせいか、大学時代もマインスイーパばかりやっていた。
ごめん、そのせいではない。大学時代は暇だったからだ。
さて、一方で、姉はやはり上の子で、母をキレさせる地雷を踏みがちであった。姉は地雷の埋まったダンスホールでワルツを踊り、私はそれを怯えながら客席でみていた。時々客席にまで火が広がることがある。消火器を握りしめて祈る思いであった。
さて、キレた母は、怒りをモノにぶつける癖があった。
とりあえず手にしているものを地面に投げつけるのである。
よく投げたのは、カギである。
自宅の床にはカギをたたきつけたときに出来た傷が散見される。
とんだエクスカリバー物語だ。
さすがに、床に鍵が直接突き刺さったことはないけど。
そんな投げ癖のある母。
怖かった投擲物ランキングの2位はドンジャラ卓である。
もう詳細は覚えていないが、珍しく家族四人でドラえもんのドンジャラをしていた。「野比家大集合(パパ×3、ママ×3、のび太×3、ドラえもん×3)」だとか、「四次元ポケット(道具12個)」だとかご機嫌な役を目指しているさなか、些細なことで姉弟げんかが始まった。
姉弟げんかはエスカレート、母がとめても全くその熱はさめず、我々はヒートアップし続けた。
その時母がキレた。母はまだ牌が乗っている卓ごと両手で鷲づかみ、そして豪快に地面へと投げつけた。
…
…
むちゃくちゃである。
未だかつて、裏麻雀漫画や映画でもこんなシーンみたことない。
せめて牌だけか、卓だけかにしてほしい。
牌はそこらじゅうに飛び散り、我々は凍り付いた。
細川家も野比家もバラバラ、一家離散状態である。
当然ドンジャラは中止。そのあとしこたま怒られ、謝り倒した記憶がある。あれは怖かった。
そして、それを上回る1位のエピソードがある。
先ほどまで述べたように、父はヤバいやつで、母がお願いしても基本的に問題点を改善しない人であった。母はいつからか、お願いすることをやめて、とりあえずガツンと注意するスタンスにかわった。
そのこともあり、うちの家は、定期的に母が父にブチ切れるというイベントが起きた。父は大体ケロッとしている。恐ろしいやつである。
その日も、母は父のあまりの思いやりのない不遜な態度にブチ切れていた。詳しくは覚えていないが、淡い記憶を辿るに、母がぶちぎれてもおかしくない理由があったように思う。
母はどんどん熱を帯びて、あるものを握りしめ、いつものように地面にたたきつけようとした。
そう、大根おろし with おろし金 である。
↑ちょうどこんな感じだった。
今考えても、これを地面にたたきつけるのはヤバい。
どう考えても、やりすぎである。
しかし母はおろし金をたたきつけた。
勢いよく振り下ろされたおろし金は、手からすっぽぬけた。
おろし金は父の方へとんでいった。
そう、クリティカルヒットである。
流石に時がとまった。
私も人生で唯一この時は「両親は離婚する」と思った。
秋魚のように大根おろしにまみれた父。
へぇ~、さっぱりしたじゃん。髪切った?
などと言っている場合ではない。
そののちも喧嘩は続いた。
しかし、意外と父は冷静だった。
今となって考えると、なんやで父は母がいないと生きていけない人なので、予測不能なことが起きてシュンとなってしまったのかもしれない。
どうやって喧嘩がおさまったのかは覚えていないが、父がわりかし冷静だったこともあり、近日中に喧嘩状態は改善した。
さすがに後日母も
「地面にたたきつけるつもりだった。すっぽぬけた。流石に本人にぶつけるのはやりすぎだわ、反省してる」
といっていた。
私は、おろし金を投げること自体もやりすぎだと思ったが、何も言えなかった。地雷原でワルツを踊る勇気はなかったのだ。
人生35年、その前にも先も、私は頭から大根おろしをかぶった人間をみたことがない。今考えても、あれは本当に衝撃であった。
そういえば、父はやばい人間ではあるのだが、1つだけ尊敬しているところがあって、それは子供に手を上げないことである。
母も基本的には同じスタンスであるが、母にたたかれたことはある(ただ、いつ叩かれたか鮮明に覚えているくらいだから、ほとんど叩かれたことはないのであろう)。
父には1回も、ぶたれたことがない。
そうだね、アムロ・レイだね。
やっと漫画で例えられたね。一安心一安心。
まぁもちろん手をあげるのってよくないし、自分も絶対しないどこうって思ってるんだけど。いざ、自分が父親になってみると、子供の相手をしている時、つい手が出そうになることがあるのよね。中々の忍耐が必要。
そう考えると、父はやばい人だが、我々子供のことは心から愛しているのだろう(彼なりにね)と思えるようになった。純粋に接する時間が少なかった可能性はいなめないけどね。自分が親になって気づいた一つの真実。
なお、両親にたたかれないまま育った私は、前出の祖父の家で、言うことを聞かずにはしゃぎまくった時に、秒でしばかれて社会の厳しさを知った。後日、九州の大叔父にも同様にしばかれて、この世代の人はホントすぐにしばいてくるということを知った。
両親が一生懸命働き、愛をもって我々を育ててくれて、だからこそ今の自分がいるわけで。なので、父はやばい人だし、肉親じゃなかったら関わりたくないけど、親としては感謝しているし、これからも大事にしたいと思っている。もちろん母に対しても同様。両親が幸せな余生を過ごせるように、サポートをしていきたいものである。
…まぁ、母が先に死なないことは切に願っている笑
そんな両親の紹介ブログでした。
最後まで読んでくれてサンクス。
次回は大好きな漫画、「キャプテン翼」の魅力について語るよ。
お楽しみに。じゃあの!